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◆ 2010年2月 9日

雪の風花にいのちを感じる

昨晩、2月に入って二度目となる降雪が見られました。
昨冬は、降雪がなかったといいますから、今冬の方が寒いのでしょうか。
「地球温暖化」の文字が毎日のようにメディアで見られる中で、雪が降ることに
ちょっと安心感を覚えてしまいます。寒いのはもちろん苦手なのですが。

自宅でカーテンを開け、窓硝子越しに雪が舞っている姿を見ました。
息子が、明日朝起きて一面の銀世界を見たらきっと喜ぶことでしょう。
私にとっては寒さの象徴に感じられる雪も、
子供にとっては、天が一時的に与えてくれた遊びもの。
思い出せば自分も子供のとき、雪が降ると意気揚々と外に出て、
雪をころころと転がして、だんだんと大きな塊にすることを楽しんだものです。

「霜やけの 手を吹いてやる 雪まろげ」
無心にただ雪に触れ遊ぶ。
雪をただひたすらに転がす。
塊をただただ大きくする。


雪がただ静かに降る様を見ながら、「般若心経」(玄侑宋久著)の本に書かれていた言葉を思い出しました。

理解から記憶に進む際に、断片的な知識を記憶するのは「私」であり、
全体をまるまる記憶するのは「私」ではない。
いったん記憶された音の連なりは、一切の思考を伴わずに出てくる。
あらゆる思考はその表出を邪魔する働きしかない。
全体がまるごと記憶され、それは再生される度に「識」を浄化していくのではないか。
再生しながらその力を保つことで、「識」そのものも「空んじられる」と考えてもいい。
断片化された世界を安易に「全体」と勘違いし、
知的に明確に知ることでやすらぎでなく「単なる満足」に陥いる危険性を持つ「私」。
そして長年、世界の中心であるかのような意識をもちつづけた
「私」の殻は、相当に強固である。
こうして「人間の知恵の限界を知る」ということが大切なこと。
「花」も「私」も自立的でも恒久的でもなく、隔てなく融合しながら
同じ「いのち」の「縁起」のなかにあることを感じ取る。

「ありのままの自分」を大事にすることが、真のやすらぎを得られることなのか。
暗い空を白く照らしながら舞い下りる雪の風花を見ながら、そんなことを思いました。

雪がただ静かに降る様を見ながら...

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Kazz
前職のSEを12年勤めた後、自然環境保全を学び、2001年よりリコーにて環境社会貢献を担当。北米先住民の知恵「7世代先のことを考えて行動する」に深く学びながら、持続可能な社会を目指して「地球環境の回復力向上」のため、NGOとの連携による森林生態系保全プロジェクトの推進、社員の環境ボランティア活動促進など自然生態系の保全に取り組む。 08年設立の国内企業が連携して生物多様性保全に取り組む「企業と生物多様性イニシアティブ(JBIB)」の研究開発部会長

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